北田・大手町商店街の歴史
鹿屋市の始まり
1580年伊集院忠棟の時、本町あたりに鹿屋市(かのやいち)が開設された。
近世初頭前後から日常生活用品の広範囲に亘る交易拠点として位置付けられていた。
明治以降
郡役所移転を契機に大隅半島の行政拠点となる
大正時代
北田を起点とする県道の整備、馬車・バスなど交通環境の変化に応じ、北田交差点をポイントして東西南北に延びる街道沿いに街並みが形成されていった。
昭和年代
昭和29年に大隅半島唯一の百貨店が出現
昭和40年代には北田銀座街にアーケードが設置
昭和53年12月に北田・大手町商店街振興組合が設立
昭和54年度にアーケードの改築・カラー舗装を実施
*中心市街地の商業は昭和20年代が胎動期、30年代から40年前半が展開期、その後50年代半ばまでが全盛期であった。
昭和50年代の全盛期には62店舗あった店舗が中心市街地が衰退化・空洞化が進行し、現在は北田商店街(220m)17店舗あるが4店舗が空き店舗となっている。
中心市街地活性化への取り組み
- 昭和60年度
- 商業近代化基本計画
- 昭和63年度
- 商業近代化実施計画
- 平成 5年度
- 特定商業集積基本構想作成調査
- 平成10年度
- 鹿屋市中心市街地活性化基本計画
- 平成17年度から19年度
- リナシティかのやの整備及び周辺の整備